単身赴任歴に役立つ情報を提供します。

単身赴任の休日

休日に帰還困難区域へ

 単身赴任の赴任先での休日は2週間に1回です。
ここは放射能ビンビンの町大熊町、仕事以外では絶対に行く事は無いでしょう。
それが今の単身赴任先です。
 大熊町って知ってます?あの東北震災で原発が大爆発して
その放射能が散らばった街で、今だに生身の体で歩いてはいけない町です。
震災当時は給料とは別に1日2万2千円程付いたので、月収55万円アップでしたが
今はもう1日6千円程しか付かないので、月収15万円アップに過ぎません。
放射能(セシウム137)の半減期は30年なのに、特殊区域勤務手当の半減期って
ハンパなく早いと思いません?
 まあ、昔から”人の嫌がる事を進んでやりなさい”ってよく言われたので
今回も嫌がらずに赴任してみました。
 家でじっとしててもしょうが無いので車でウロウロしてみます。
高速出口
二輪は高速も一般道も通行できません。もちろん歩行者も。

帰還困難区域というのは日本で唯一、歩けない場所です。

帰還困難区域と言うのは放射能ビンビン区域です。
だから帰還困難区域はまだ住めないのです。歩く事も出来ません。
車ではかろうじて通れますが、エアコンは内気循環でないとヤバイと言われてます。
だから二輪はバイクも自転車も通行禁止です。外気を直接吸うことになるんで。
ガードマンが24時間立ってて車以外はすべて止めて引き返させてます。
写真にはガードマンが写ってませんが、ちゃんと居ます。(フレームの外に)
普通のの人間がマスクと手袋(綿手)をしてるだけのガードマンです。
右上に監視カメラが写ってます。
その先に行くと・・・

これが、The 帰還困難区域です。

国道脇の家は全て立ち入り禁止措置
道路脇の立ち入り禁止柵がずっと続き、ゾッとします。
歩く人はもちろんいません。こんな感じでほぼ何処も今だに閉鎖されてます。
もう震災による原発爆発から8年も経ってますが、まだ数十年続く感じが現地に居ると
物凄く感じますね。
以前私は他の復旧工事で、津波被害の宮城県東松島市にもいました。
観光地で有名な、とてもきれいな街の松島です。
そこはそこでしんどかったけど、福島の復旧はヤバすぎます。

災害に大小は無いと思ってましたが、福島F1周辺は別格です。あり得ません。

歩けない場所が普通にある、放射線の線量表示計が普通にある。
タイベック(化学防護服)を着て作業している人の横を平気で普通の車で通る。
ここも日本ですよ。こんな所があるってしらなかった、半年前まで。
いつまで単身赴任が続くんだろう・・・
もし子供が出来ちゃったら、とんでもない子が生まれて来る気がする・・・
世間や環境省は大丈夫を前提に作業は進んでますが、セシウム137の半減期は30年、
今まだ8年で半減もしてない。でも危険手当は急速半減。

まあ働きますよ、日本のためだと思って。

こんな日本があるとは思わなかったでしょう?ここも日本です。歩けない、歩いてはいけない場所です

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